お金の算数

ローンや資産運用について数学的見解を交えて考察しています

犠牲バントの損益分岐点 ~計算構造の考察~

 

はじめに

昨今のプロ野球ではデータを戦略に役立てるセイバーメトリクスが活用されています。

そのセイバーメトリクスを最近のトピックスも取り上げながら非常に分かりやすく解説している書籍が出版されました。それが鳥越規央氏が上梓した『統計学が見つけた野球の真理 最先端のセイバーメトリクスが明らかにしたもの』です。

この書籍で犠牲バント損益分岐点について解説されていました。会計学にて使われている損益分岐点については知っていましたが、野球に活かされていたことは知りませんでした。

 

この記事では会計学統計学と野球に関心のある私が会計学と野球それぞれの損益分岐点分析について解説していき、計算構造の共通点について考察していきます。

 

会計学での損益分岐点

まずはじめに一般的な損益分岐点分析について説明していきます。

損益分岐点分析は主に管理会計で利用されている分析手法です。

 

売上がいくらになれば、費用を回収できる利益を出せるかを求めるためにつかわれます。

 

例えば売上に比例して増加する変動費が売上100%に対して40%、売上に関係なく発生する固定費が300万円だったとします。この場合、どれだけの売上があれば営業損益(売上高-変動費-固定費)の値がちょうどゼロになるでしょうか。

 

売上から変動費を引いた値を貢献利益といいます。また、貢献利益を売上で除した値を貢献利益率といいます。

この問題は貢献利益で固定費をすべて回収するにはいくらの売上を上げればいいのかを求めることと言い換えられます。

ですので、以下のように計算するとすべての固定費をちょうど回収できる売上を求めることができます。

 

\frac{固定費}{貢献利益率}=\frac{300}{0.6}=500

 

わかりにくいと思いますので、グラフにしてみましょう。

 

図1:貢献利益図表

図1をみればこの問題は単純な一次関数の問題であるとわかります。

横軸の「売上」をx、縦軸の「収益・費用」をy、貢献利益率である0.6を傾き、固定費である-300を切片として考えると

 

y=0.6x-300

 

という式になります。損益分岐点y=0となるxの値を求めればいいので、

 

0.6x-300=0\\x=\frac{300}{0.6}
 

と計算することになります。

 

結局、損益分岐点分析は単純な一次関数の問題に置き換えられます。

 

会計学での損益分岐点分析は、売上がどれほどであれば、変動費・固定費を合わせた費用よりも貢献利益が高くなるかを求めていました。

 

また、岡本(2000)では以下のような秀逸な表現で図1について解説していました。

 

われわれは今、海底深く潜って、300mの底にいる。このままでいれば、窒息するばかりである。したがってなんとか海面(横軸の示す水平線)まで浮かび上がらねばならない。この浮上は、販売して貢献利益だけ浮かび上がり、500万円販売すれば、300m浮かび上がって、ぽっかりと海面に顔をだし(固定費の全額回収)、800万円販売すれば勢い余って体が海面よりとびだす(利益の獲得)のである。このように海面に浮上する力は貢献利益率で示され、貢献利益線の勾配が急なほど、その会社の収益力が高いことを示す。

 

この引用の後半では800万円販売した場合についても言及されていますが、このように原価・営業量・利益の三者の全体の関係について分析する手法をCVP分析(cost-volume-profit anaiysis)といいます。したがってCVP分析は損益分岐点分析を含む広い概念と考えられることができます。

 

犠牲バント損益分岐点

続いて、鳥越(2022)にて紹介されていた犠牲バント損益分岐点について解説していきます。

 

まったくヒットが期待できないような打者にもバントをさせずに打たせるのが有効だというのか、という議論からどの程度の打者であれば、犠牲バントの方が有効になるだろうかを考えるのが「犠牲バント損益分岐点」と名付けられいるとのことです。

 

犠牲バント損益分岐点を具体的に計算し、その計算構造を解き明かして会計学損益分岐点分析と比較していきます。さらに、犠牲バント損益分岐点分析を犠牲バントのCVP分析まで概念を広げていきます。

 

今回は無死一塁から犠牲バントをする場合についてみていきます。

まずはじめに各アウトカウント・出塁状況での得点期待値*1を以下のように記述しておきます。

 

無死一塁での得点期待値 E_{0,一} (犠打をする前)

1死二塁での得点期待値 E_{1,二} (犠打成功)

1死一塁での得点期待値 E_{1,一} (犠打失敗)

 

また、無死一塁から犠打を成功・失敗したあとの得点期待値の差をそれぞれΔE_{1,二}ΔE_{1,一}と置きます。

 

犠打が成功する確率P(犠打成功)とします。

 

ここで知りたいのは、犠打という作戦を実行することによって得点期待値がどれだけ変化するかです。具体的な数字を当てはめて、確認していきましょう。

 

得点期待値および犠打の成功確率は鳥越(2022)にて使用されているデータを使います。

E_{0,一}=0.790

E_{1,二}=0.636

E_{1,一}=0.461

P(犠打成功)=0.836

以上から

ΔE_{1,二}=E_{1,二}-E_{0,一}=0.636-0.790=-0.154

ΔE_{1,一}=E_{1,一}-E_{0,一}=0.461-0.790=-0.329

 

よって、犠打による得点期待値の差ΔE_{犠打}は以下のように計算されます。

 

ΔE_{犠打}\\=ΔE_{1,二}・P(犠打成功)+ΔE_{1,一}・(1-P(犠打成功))\\=-0.154×0.836+-0.329×(1-0.836)\\=-0.183

 

以上の結果から監督が犠牲バントのサインを出した瞬間、得点期待値は0.183減少してしまうことがわかります。セイバーメトリクス犠牲バントが支持されていないのは、このような計算があったからだとわかります。

 

さらに悪い想定をしてみます。

先ほど計算された「ΔE_{犠打}=-0.183」という結果は視点を変えて捉えると、得点期待値の減少を「-0.183」に抑えたともいえます。

極端な話、犠打をせず必ず三振する打者の場合、得点期待値の差は

 

ΔE_{1,一}=E_{0,一}-E_{1,一}=-0.329

 

と計算されてさらに-0.183よりも0.146低い-0.329に悪化してしまいます。これに加えて、併殺の場合を想定すると得点期待値はさらに悪化します。

 

そこで無死一塁からヒッティングをすることで、犠打による得点期待値の減少(-0.183)よりもさらに減少させる打者の出塁率はどれだけか、を考えていきます。

これがまさに損益分岐点分析と同じの考え方で、バントの損益分岐点分析と呼ばれる所以です。

 

計算にあたっての条件は以下の通りです。

 

  • ヒットは単打のみ
  • 無死一塁での併殺の確率 P(併殺)=0.089
  • 無死一二塁での得点期待値 E_{0,一二}=1.307
  • 二死走者なしでの得点期待値 E_{2,無}=0.077
  • 凡打は一死一塁と一死二塁が1:1の頻度で起こると想定
  • 出塁率xとおく

 

これらの条件から

 

ΔE_{0,一二}・x\\+0.5・ΔE_{1,二}・(1-P(併殺)-x)\\+0.5・ΔE_{1,一}・(1-P(併殺)-x)\\+ΔE_{2,無}・P(併殺)\\\ltΔE_{犠打}\tag1

 

この式にx以外、具体的な数字を代入して計算していくと

ΔE_{0,一二}=E_{0,一二}-E_{0,一}=1.307-0.790=0.517

ΔE_{1,二}=E_{1,二}-E_{0,一}=0.636-0.790=-0.154

ΔE_{1,一}=E_{1,一}-E_{0,一}=0.461-0.790=-0.329

ΔE_{2,無}=E_{2,無}-E_{0,一}=0.077-0.790=-0.713

より、

 

0.517・x\\+0.5・(-0.154)・(1-0.089-x)\\+0.5・(-0.329)・(1-0.089-x)\\+(-0.713)・0.083\\\lt-0.183

 

x\lt0.127

 

となります。これが犠打の損益分岐点です。結局、出塁率が0.127以下であれば犠打をさせる方がましだと判断されます。

 

さて、会計学での損益分岐点分析とバントでの損益分岐点分析をさらに一般化して計算構造の本質を深堀していきます。

 

損益分岐点分析の本質は単純な一次関数でy=0Y=ax+bの交点を求めることでした。したがって、式(1)をax+bとなるように式変形していき、犠牲バント損益分岐点分析における変動費率(傾き)と固定費(切片)を求めていきましょう。

 

ΔE_{0,一二}・x\\+0.5・ΔE_{1,二}・(1-P(併殺)-x)\\+0.5・ΔE_{1,一}・(1-P(併殺)-x)\\+ΔE_{2,無}・P(併殺)\\\ltΔE_{犠打}\tag1

 

ΔE_{0,一二}・x\\+0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,二}・P(併殺)-0.5・ΔE_{1,二}・x\\+0.5・ΔE_{1,一}-0.5・ΔE_{1,一}・P(併殺)-0.5・ΔE_{1,一}・x\\+ΔE_{2,無}・P(併殺)-ΔE_{犠打}\\\lt0

 

(ΔE_{0,一二}-0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,一})・x\\+0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,二}・P(併殺)\\+0.5・ΔE_{1,一}-0.5・ΔE_{1,一}・P(併殺)\\+ΔE_{2,無}・P(併殺)-ΔE_{犠打}\\\lt0\tag2

 

式(2)より貢献利益率(傾き)は

ΔE_{0,一二}-0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,一}

で、固定費(切片)は

\\0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,二}・P(併殺)\\+0.5・ΔE_{1,一}-0.5・ΔE_{1,一}・P(併殺)\\+ΔE_{2,無}・P(併殺)-ΔE_{犠打}

であるとわかります。

 

式(2)に具体的な数字を当てはめて整理していくと

 

0.759x-0.098\lt0\tag{2'}

 

となります。式(2')から損益分岐点を計算すると以下のようになります。

 

\frac{0.098}{0.759}=0.129

 

したがって、出塁率が0.129よりも低い打者であれば犠打をした方が得点期待値減少を防ぐという点でまだ良いといえます。

 

式(2)の構成要素について考察していきましょう。

傾きである

ΔE_{0,一二}-0.5・ΔE_{1,二}-0.5・ΔE_{1,一}

は「出塁した場合の得点期待値の差」から「凡打になった場合の得点期待値の差」の差となっています。今回は凡打を簡単のために一死二塁と一死一塁を1:1で仮定していましたが、実際には異なるでしょう。例えば、凡打の場合はどのような場合でも一死一塁にしかならないチームであれば傾きの値は

 

ΔE_{0,一二}-ΔE_{1,一}\\=0.517-(-0.154)\\=0.671
 

と計算されます。凡打での進塁パターンの比率が変わることで0.088傾きの値が減少してしまうことがわかります。これは、会計学での損益分岐点分析でいうと貢献利益率が減少してしまうことと同じです。

また、切片は

 

ΔE_{1,一}-ΔE_{1,一}・P(併殺)+ΔE_{2,無}・P(併殺)-ΔE_{犠打}\\=-0.329-(0.329)・0.083-(-0.183)\\=-0.173

 

となり、式(2')の-0.098より低くなってしまいました。これも会計学での損益分岐点分析で考えると、固定費が増加したとと本質的に同じです。

この場合、損益分岐点

 

\frac{0.173}{0.671}=0.258

 

であり、出塁率が0.258以下であれば犠打をしていたほうがましという結論になります。凡打の状況を1:1の仮定より2倍も高くなってしまいました。

打者以外にも走者の能力によっても犠打の評価が変わってしまうとわかります。

 

最後に犠牲バント損益分岐点分析を犠牲バントのCVP分析として考えてみましょう。犠牲バントの貢献利益図表を以上の解説から作成すると以下の図2のようになります。

 

図2:犠牲バントの貢献利益図表

 

図1と図2をみると売上が出塁率と対応していることがわかります。そこで、出塁率が0.2の場合について考えてみましょう。先ほど計算した犠牲バント損益分岐点出塁率が0.129でした。つまり、出塁率が0.2だと会計学でいうとことの利益が発生します。具体的に式(2')に0.2を代入して計算してみましょう。

 

0.759・0.2-0.098=0.053

 

犠牲バントのCVP分析にて出塁率が0.2のとき、利益は0.053という結果になりました。出塁率が0.2の打者が犠牲バントをしたときの得点期待値とヒッティングしたときの得点期待値の差が0.053であると解釈します。

ただ、会計学では利益は重要な指標ですが、犠牲バントのCVP分析での利益はあまり解釈するのに有効性がありません。とりあえず、これから打席に立つ打者にはバントかヒッティングどちらかを指示すべきかは、損益分岐点さえわかっていれば問題ありません。

 

まとめ

会計学損益分岐点分析にあたる売上を犠牲バント損益分岐点分析では出塁率としていました。計算は単純な一次関数の問題であり、計算構造は同じであったことがわかりました。さらに犠牲バント損益分岐点分析をCVP分析に拡張して考察してみました。

 

セイバーメトリクスはただデータを集めて集計することだけではなく、集めたデータをいかにして分析するかが重要です。

本記事で分析手法を考察することの面白さが伝われば幸いです。

 

 

 

(参考文献)

岡本清(2000)『原価計算』国本書房

鳥越規央(2022)『統計学が見つけた野球の真理 最先端のセイバーメトリクスが明らかにしたもの』講談社

 

*1:あるアウトカウント、 塁状況から攻撃した場合、そのイニングが終了するまでに何点入るかを示したもの